リーダーシップを育む風土

リーダーシップを育む風土 コラム

私がこの組織開発・人材育成の業界に飛び込んで約20年経つが、「リーダーシップ」の話題は尽きない。これからもおそらく尽きないテーマであろう。

よく、「管理職にリーダーシップを発揮できる人材が少ない」「会社全体的にリーダーシップが低い」などの問題意識をよく耳にする。最も言葉の定義が曖昧で多様な解釈を生む言葉であるがゆえに、「発揮」とはどの程度できたことを示すのか、「低い」とはどのような基準に照らしてそう言えるのかがとても分かり難い。

実は無意識に日頃からよく使っている言葉でも、分かっているようでもっとも分からない言葉でもある。一説によると、リーダーシップの語源は、古英語の「laedan(何かを生み出す、導く)」に位置づけを方向付ける「Ship」が加わり、1822年から現在に至るまで約200年間も使われていることには驚いた。

リーダーシップ研究の変遷を辿れば、1940年代頃の特性理論からはじまり、条件適合論、変革型リーダーシップ理論など、近年ではサーバントリーダーシップ論やオーセンティックリーダーシップ論まで、多様なリーダーシップ論の研究が今日も行われている。

PM理論やSL理論などの考え方は、この業界に従事していれば一度は耳にしたことがある代表的な考え方である。どの理論も普遍的であり、共通して言えるのは、あたり前ながら「リーダー」という主人公がいて、そして「相手」がいること。

ここでの相手とは組織内の部下やメンバー以外にも、顧客含めた社内外の関係者なども含まれる。つまり、リーダーシップを端的にいえば、リーダー固有に宿る能力であり、そのリーダーと相手との“やり取り”においてもたらす機能と捉える。

では、これからのリーダーシップとはどうあるべきかを考える前に、ここ最近感じている問題意識を述べておきたい。一言でいうならば、“自分の考えや主張を貫き通す力が弱い”ということだろうか。日々の業務や業績に追われ、その業務の意義や目的に疑問も持たず、また、対立を避けて、自分の意見や主張を相手と戦わせずにいつのまにか流されてしまう。

日本企業の共通した特徴として、誠実、実直、他者への尊重や配慮、協調や共感からすれば無理もない。ここ近年、特にコロナが終息してから、各企業が求心力や会社と個人のつながりを強く結びつけるために、パーパス経営、MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)、エンゲージメントといった施策に熱心に取り組んでいるが、会社と個人のつながりに意識がむくあまり、集団凝集性が強くなりすぎているのではないかと感じる。

集団凝集性とは“集団と個人の結びつきの強さ”であり、結びつきの強い集団ほどグループの結束を乱したくないという心理が働き、結果として同調が起こりやすいと言われている。もちろん何ら否定することではないが、ここ近年の傾向として、「優秀な若手がすぐに辞める」「若手が自立しない」といった理由の一つに、同質が集まることで異質を無意識に排除し同質性をさらに高めてしまっているのかもしれない。

これでは多様性やD&I(ダイバーシティ・インクルージョン)などほど遠い。仲良く和気藹藹に同調することではなく、耳が痛いことも互いに言い合える職場でないと本来の心理的安全性があるとはいえない。集団凝集性が強くなるほど、“異質な人間”“場の空気を読まない人”と周囲にみられたくないあまり、周囲にあわせて発言を選び、時に共感ではなく忖度な行為につながってしまうのではないか。

もちろん、組織で働く以上は、周囲への配慮といったビジネスマナーとしての立ち振る舞いは必要であるが、そこに意識が向きすぎると、自分の意見や主張を言わなくなるどころか、考えることすらいつのまにか忘れてしまう。

そのような組織や職場においてメンバー一人ひとりのリーダーシップが培われたり、発揮されることは難しい。リーダーシップを高めるためには、個人の能力に焦点をあてるだけではなく、組織や職場がリーダーシップが育つ風土を育むことも重要である。異質な考えや意見を認め合い、互いに戦わせられる組織や職場には、自然とリーダーシップを発揮できる人材が多いのではなかろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました